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2008年11月 8日 (土)

「異脳」流出【独創性を殺す日本というシステム】

今日は,1日まったく仕事をしない日にした。

午前中は,二人のこどもを連れて,TSUTAYA→市民図書館→マクドナルドをはしご。マクドナルドのハッピーセットの付録は,今日から「たまごっち」。たまごっち好きのayuが喜んでくれて,お父さんもハッピー!

午後は,taroのお友達の女の子2人がうちに遊びに来て,Wii や チョコ(うちに来たチビ猫)で楽しそうに遊んでいるのを見ながら,市民図書館から借りてきた本を読んだ。


Inou
「異脳」流出【独創性を殺す日本というシステム】

日本を出て,海外で活躍している7人の研究者のインタビュー集である。7人のうちの何人かが,高校時代は暗記科目(社会科)が苦手で,理科のなかでも生物が苦手だったということで,自分の高校時代を思わずふり返ってしまった。私も生物が苦手。そして,共通一次試験の偏差値は,現代社会と世界史が大きく足を引っ張っていた。(むろん,同レベルで語るつもりはないが)

それはともかく,日本という国は,自分の目と心で物事の価値を判断できない無責任な国だということを再認識した。日本人が昔からそうだったとは思わないが,少なくても現在はそうなってしまっている。

だから例えば,その研究者がどんな研究をしたかとか,どんな論文を書いたかよりも,何歳なのか(若ければダメ),どこの大学の所属か(東大が一番)といった本質的ではない部分で人を判断する。

また,ノーベル賞を受賞した日本人に,あわてて文化勲章を授与するということがよく起こるのも,やはり価値判断を自力でできていないことの証だ。他者に評価されて初めて自国民の才能に気づくのだから。

価値判断を他者に頼り,自分で考えようとしないのだから,それは無責任というものでしょう。無責任な人に囲まれて,才能とやる気のある人が疲弊するというのが日本の現状。これは何もサイエンスの世界だけの話ではなく,日本のどこにでもある話だと思う。

目に留まったフレーズをちょっと抜き書き

---
同じ人間がアメリカでできて,なぜ日本ではできないんでしょう。

日本では相手を批判すると面子をつぶすのではないかと恐れ,研究で最も重要な建設的批判が起こらない。お互いに批判を水際で止めて曖昧にしてしまうため,そこそこの研究成果で満足し,大きなブレークスルーにつながる芽を摘んでしまっている。

日本は基本的にモグラ叩きの社会で,日本人同士を前向きに評価しようとしない民族性がある。(略)アメリカでは相手が自分よりすぐれていると認めると,「一緒にやらないか」と声をかけて,共著でよりグレードの高い論文を書こうとする。

日本の大学は,一定年齢に達すると各種の委員会や協議会に取り込まれ,研究の自由な時間を奪われてしまう。(略)日本は悪平等社会だから,できる人もできない人も委員にして,同じ扱いをしながら全体をつぶしてしまっている。
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そういえば,私の大学・大学院時代の恩師である教授も,アメリカの大学と兼務でうちの大学に来ていたが,今はもうアメリカに戻ってしまった。日本に在任中は7人の異脳と同じようなことをおっしゃっていたので,恩師も日本での研究生活に限界を感じたのだろう。

無責任な人が,わざわざヘンテコなシステム(や価値観)をつくって,やる気のある人の意欲を奪っているという構図は,教育の世界でも同じ。

教員免許更新制などというものが始まるが,これも大学の研究者の研究時間を今以上に奪うとともに,現場の教員に無駄なお金と時間のコストを払わせるものだ。何も考えない人たちが,考えていないのに仕事をしたように見せかけるためにつくったものとしか思えない。

残業が当たり前という価値観も同様。評価されるべきは,どれだけ長く仕事場にいたかではなく,どれだけ意味のある仕事をしたか。でもそういう評価を日本人はできないので,長く仕事場にいることが立派なことだということになる。恐ろしいほどの単純化。いくら仕事場に長くいたって,たばこを吸って,無駄話をしているのなら,意味はないでしょう?

一事が万事。日本という国はこういう感じで,やる気のある人が生きにくく,楽しくない生活になるように設計されていると感じることが多い。私はバカバカしいと思うのだが,皆さんはどう思うだろう?

こちらの文章も一緒にどうぞ…

日本にノーベル賞が来た理由
幻の物理学賞と坂田昌一・戸塚洋二の死
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081009/173322/

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コメント

苦手科目で嫌な思いをするのは,今の入試制度では避けられないわけで…。

嫌なことでも逃げずにがんばる経験も,それはそれで大事なことだけれども,それを勉強でやらせてしまうのが,今の日本というところでしょうか。

逆に,こどもが好きでのめり込んでいることに,周りが制限をかけていないかという視点も大事ですよね。「そんなことばかりやってないで,勉強しなさい」なんて,親や教師はつい言っちゃうでしょうね。

たぶん,日本には「好きなことばかりいていないで,ちゃんと…」というような雰囲気があるから,とことん好きなことをしたい人には居心地が悪いのでしょう。異国の地で好きなことにのめり込んでいる下村さんが,まぶしく感じられます。

私自身反省しているのですが
「苦手教科を頑張れ」というのは
 子供を勉強嫌いにしてしまったかも
 しれませんね。

 下村脩さんがアメリカの自宅内の実験室で
 実験されている姿が放映されましたが
 「いくつになっても実験が好きなんだ~」
 というアピールに見えました。

「まんべんなくできる人を優遇する」ような現在の国立大学の入試は,本の中で中村修二教授(青色発光ダイオードの発明者)が強烈に批判していました。

独創性というのは人と違ったことを考えられるということですから,まんべんなくできる人っていうのは,そもそも独創的ではないのかもしれません。

興味の幅が狭くても,そこを掘り下げていくことで,独自の境地にたどり着くことがあるわけで,現在の入試ではそういう人を門前払いしてしまいますよね〜。

アスペルガーの人なんかも,そういう点でずいぶん損をしているのではないでしょうか?

戸塚さんが亡くなられた時に小柴さんがコメント
出来ないくらい動揺されていたので
 門外漢の私にも凄い方だったんだろう
 という事はわかりました。

 受験生の母としての経験から言うと偏差値を
 上げる為には「苦手克服」なんですよね。
 障害関係の講演では「得意な事を伸ばして」
 なんですけど・・・
 長男は国語が苦手で
 「受験科目に国語が無い高校を受けたい」で高校受験で
 苦労し、大学でもセンターで国語が有るし
 「まんべんなく出来る事」が要求される事も
 独創性の芽を摘む事につながっていないか?
 身勝手な考えかもしれませんけど(^^;
 

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