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2009年12月20日 (日)

批判されるべきなのは市長ではなく市民では?

市民には,その市長を選挙で意図的に選んでいるという意味で,責任が伴うと思う。

障害のある人に差別発言をしたとのことで,阿久根市長が「謝罪しない」と非難されているが,言い間違ったわけでもないことについて「謝罪しろ」と言われてもね…。

むしろそういう非常識な人を市長にしている人たちに,考えを改めてもらったらどうだろう。

市長の発言というのは,そのへんのおじさんの発言とは重みが違い,社会に与える影響も大きい。誰を市長にするか選べる市民には,市長がどんな発言をして,どんな政治活動をするのか,その社会的影響に責任を持つ必要がある。

阿久根市長に「謝罪しろ」と詰めよる暇があったら,阿久根市民に「こんな市長で恥ずかしくないのか?」と問うたらいいと思うんだけど。それで恥ずかしいと思うなら,市長を替えればいい。

ま,東京都知事についても同じような感想をずっともっているし,仙台市長についても(やっと代わってホッとしたが)恥ずかしい限りだったが。

阿久根市長、差別発言の謝罪拒否 「これは戦いだ」
http://www.asahi.com/national/update/1220/TKY200912190396.html

 その後、障害者の表現をめぐる話になり、「めくらとか、ちんばとかいう言葉は今は使わない」と平野さんが話すと、市長は「では『めくら千人めあき千人』という言葉があるが、それも駄目なのか」と尋ね、平野さんが「差別語で傷つく人がいるから使いません」と諭したという。

 市長は「謝罪はしない」とも述べたという。平野さんは「謝罪は必要ないという認識のようだ。これを機にいろんな所で議論が起こればいいという考えみたいで、あきれた」と話した。

もっとも,「差別語で傷つく人がいるから使いません」という考え方は,私にはないけどね。自分の使った言葉で相手が傷つくかどうかを,自分が決めることはできない。表面的で薄っぺらな考え方だと思う。

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